自由区域のメイン事業は広告制作。印刷物やWEB、動画などの制作を軸にクライアントの求める成果を挙げることを求められる。そのために必要な力は、「どのようなコンセプトで」「どのようなものを作るのか」という企画からデザインまでを含めたトータル的な「クリエイティブ力」だ。アートディレクターとクリエイティブディレクターの本音の対談をお届けする。
木畑デザインのことやね。ボク、若いころ師匠に「デザインって何や?」と言われたことがあって、「形や柄、色、素材、構造、そういったものを考えること」て答えたんです。そしたらめちゃくちゃ怒られてね。「逆や!」と言われるわけです。で、「逆ってなんやろう?」とずっと考え続けて……5年くらいかかったんだけど、結局「考え方とか思いとかを、形とか色、柄、素材などで表現すること」と気づいたんです。つまりね、デザインの本質って、真心だったり、やさしさだったり、人間にすごく寄り添う部分にある。最近、そこをとらえきれていなくてデザイナーと名乗っている人がたくさんいるなぁ、と感じてるんです。
大西最近、すごく多くなってますよね。
木畑デザイナーにとって環境がすごく変わってきていることは確か。「illustrator使えます。ね、デザイナーでしょ?」みたいな人がいっぱいいる。ある意味、とんでもない時代だと思っている。
大西ツールやデバイスは進化しているわけで。そうすると今までに求められていたスキルがなくても、何となくキレイなものは作れる。
木畑そうそうそう。それがね良くないと思うんです。昔はデザインって、ある程度職人芸の世界で、キレイな画を描いて、お客様のところに持って行って「こんな線、どうやって描いてるんですか?」みたいな話があった。そこがデザイナーの腕の見せどころだったりしたのだけど。今はツールの力で誰でもできる。知らない人が見たら、プロとアマチュアの境界線がない。すごい危機感は覚えてますね。
大西うん。それは感じる。でもその中でプロとして生み出さなきゃいけない。そのへんのところって、どう考えてます?
木畑デザインそのものに価値はないと思うんです。価値を生み出すのは、デザインの効果。そこがプロとアマの違いやないかな? デザインが生み出す効果をプロは作れるし、そこを目指している。効果の再現性があるかどうか。
大西確かに。プロとアマの違いでもあり、デザインとアートの違いでもある。
木畑昔ね、プロダクトデザインをしていたとき、とあるキャラクターの腕時計を作るという仕事をしたんです。その仕事で大の大人が真剣にケンカするわけですよ。キャラクターの顔の横にあしらうのは「星がいい!」「チューリップがいい!」「いや、ハートや!」って。見ていてすごいな、と。その人らがその腕時計をするかと言ったら絶対にしないし、買うこともない。けれど、その姿勢には、エンドユーザに対する真摯さとか、情熱とかがあるわけですよ。ボクはそれが正しいと思う。たとえばいろいろなプレゼンとかがあるわけだけど、クライアントやエンドユーザへのプレゼント合戦をさせられている感覚があって。「ボクはこんなプレゼントを考えてきたよ」って。そこを武器に闘っているデザイナーは強い気がする。
大西何か最近、このデザインとかクリエイティブ業界というもののレベル沈下というものをすごく感じていて。ボクたちはこの仕事を「伝えること」としてとらえているわけです。クライアントが言いたいこと、語りたいことをどうやったら最適な形で伝えることができるか。伝えるためには、まずクライアントの思いなんかを理解しなくちゃいけない。そうやって伝わる言葉や画に落とし込んでいく。でも最近、周りの仕事っぷりを見ていると「素材をください」とかそういう話が飛び交ったりしている。伝えるためには写真やイラスト、そういったものの「完成形」を考えなくちゃいけない。そういうことができていないと感じるんです。
木畑確かに。
大西クライアントの一番の強みを語るべきだよね。そこでクライアントに「御社の強みは何ですか?」と聞いて、出てきた答えを「分かりましたー!」って、そういうのがすごく多い。
木畑反対だよね。「あなたの強みはこれですよ」と提示してあげなきゃいけない。
大西極端な話かもしれないけど、例えばクライアントに「強みは何ですか?」って聞いて、「早い、安いだよ」という答えが返ってきたとする。そこで「分かりましたー!」って、「早くて、安い」デザインを作る。でも、「早い、安いをモットーに100年続いてきたんです」ってなったらどうだろう? 中にいる人間には見えない「強み」というのがあって、それをヒアリングで引き出していくのがクリエイティブなんだよね。
木畑もしかすると失礼かもしれないけど、お客さまを教育したり、教えるということもしなきゃいけないですよね。行こうとしている方向に対して「そっちじゃないですよ、こっちですよ」と伝えなきゃいけない。下請けじゃなくて、パートナーにならないと。
大西何かね、業界全体的に、ある種お手軽な時代になってきている気がするの。さっき木畑さんが言ってたデザイナー同士のケンカは生まれないよね。
木畑そやね。
大西一緒に仕事をする中で、自由区域のクリエイティブの魅力というのをどんな風に考えてる?
木畑ボクはね、正直、見るのがすごく楽しいのね。次はどんなものを創り出すんだろう、と。演劇を見ているような気がしてきて、どんなお話を創ってくるんやろうか、って。コンセプトとかコピーワークに背骨を感じるから、そこにどうやって肉づけをするか、そこにやりがいを感じてる。全体像をしっかりととらえて、お話に筋が通って、オチまで一気にいける。何か、今、それを創り出せないデザイナーやコピーライターがすごく多い。
大西そうですよねぇ。広告ってストーリーとして考えていかなきゃいけない。
木畑もともと大西さん、演劇をやっていたというのも大きと思うよ。
大西それはありますよね。物語を創ることができるコピーライター。それが自由区域の強みでもある。
木畑背骨がしっかり定まっている分だけ、デザイナーはやりがいを感じられる。たぶん、そこでケンカとか議論が起こるんやと思う。
大西何だろう? クリエイティブに対して熱くなって、ケンカとか議論をする。それが40代、50代のおっさん達の流儀なのかね?
木畑それはあるかもしれんね。お互いに信念があるからぶつかる場面もある。
大西それは貫き通さなきゃいけないことだしね。
大西デザインって、「なぜ」と「なに」がすごく大切だと考えているわけです。なぜこの色にするか、なぜこの場所に写真を置かなければいけないか。素材の居場所というのがあって、それを探すのがデザイン作業、という考え方。そういうのって、どれくらいこだわるものなの?
木畑んー、そうやなぁ。セオリーなり、ルールなりはあるのだけど、でもそれはすごく曖昧なもの。セオリーを無視したものには茶目っ気があって、でもちゃんとセオリーを分かっていないと全部が崩れる。素材の居場所という意味で言えば、タイトルひとつとっても気持ちのいい場所は必ずある。それを苦心して探すこともあるし、素材のほうから教えてくれることもある。
大西うん、分かる。
木畑感性とか感覚でやってるだけじゃダメだと思う。デザインはロジックがすごく大切なんです。ひとつはこんな形、もうひとつはこんな形。それをどう組み合わせるのか。その組み合わせを何度もやってみる。すごく邪魔くさくて、時間もかかるんやけど、それをやらないといいものは創れない。
大西ロジックがあれば「なぜここにあるのか」に答えられるし、なければ答えられないよね?
木畑その通り。
大西デザイナーの仕事は形のロジックを創ること。意味のロジックはライターとかが創る。本来、その組み合わせがデザインだよね。
木畑そうそう。意味をしっかりと理解して、形を組み立てないと、矛盾がたくさん出てくる。で、仕上がったものがトンチンカンになったりする。
大西自由区域のウリということを考えると……デザイン力もそうなんだけど、コンテンツ作りとか、コンセプトの構築とか、そういう部分もあるのかな、と感じている。その辺はどうでしょ?
木畑それはすごくあると思う。コンセプトを構築する過程で、相手の話をしっかりと引き出す。相手が思っていなかった強みとか、逆に欠点をギラギラした刃でスパっと斬りつける感覚。大西さんが創るコピーというのは、ボクらにしてみたら目からうろこの部分がある。「そういう見方があるんや!」って。だから、一回、自由区域さんをパートナーにした人はなかなか離さないんやないかな?
大西そうだと嬉しいですねぇ。
木畑やっぱりデザインはクライアントやエンドユーザに送るプレゼントやから。いかにタイムリーで、「待ってました!」っていうようなものとか、逆にびっくりするようなものを創り続けられたら面白いよね。
大西そうですね。これからもよろしくお願いします!